2014年11月11日火曜日

沖縄

沖縄へ行ってきた。
 
金曜の午後便で、静岡空港から、那覇へ   
 
D太郎さん、おのD、俺で。
 
レンタカー屋で無理やりスズキスペーシアに大人3人Bike3台つめて名護へ。
 
 燃費 27km/lLだった。  レンタル料10400/4日(安い)
 
土曜は朝から雨。 「アナ雪」でも見たいと思ったが名護に映画館がないとういう。。
 
水族館へ行き、修学旅行と混じってイルカやじんべい鮫を堪能。
 
負荷のかからないように、牛歩作戦で歩いた。
 
午後から おのDと 羽地ダムへ。 調子はよかった。
 
 
さてレース。
 
風が強くて 途中から雨も降ってきて サバイバルな雰囲気
 
最初の70キロが半端なく遅かった。過去にないパターン。 
 
 
 
これはやばいと思うが身を委ねるしかなかった。 
 
位置は、150番くらいをキープしてたと思う。 落車には巻き込まれなくてよかった。
 
 
過去一回もリタイアなしなのでタイムアウトなんて考えた事もないのだが、
 
この状況から考えると関門が厳しいのがわかった。 ギリギリの連中はみな分かっていたようだ。
 
関門は、ある時間になると 締められる仕組みなので、仮に50人だけ通過でも残り全員タイムアウトもありのルール。 
 
後で話を聞いたら、先頭に出ても27キロでいっぱいいっぱいになるほどきつい風だったようだ。
 
さて半島が終了し
 
  のぼりが始まった。
 
ひとつめのフクガワダム。 先が長いので、全開では踏めないが著しく遅いわけでもなく、調子はよかった。 20分くらいの登り。  山頂でザクさんとエルドラのY田さんと一緒のパックになる。
 
70~100位だった  かな    (来年はここで40位以内を目指す)
 
10人位パックが 辺戸岬までに25人くらいになったきがする。
 
結局このパックのまま増えたり減ったりしながら最後の川上まで行くことになる。
 
ベルマーレの監督とも辺戸あたりで一緒になって後に消えて行った。
 
 
 
 
 
今回の沖縄、1分足りなくて最後の川上関門で下ろされるのだが、
 
運命の分かれ道は明らかに、高江の上りだった。
 
高江とは、2回目のダムが終わって下ってすぐの長い登り。
 
高江の後半で飛び出していったメンバーに、エルドラY田さん、ざくさんが入っていた。そこに私は入れなかった。単純に付けなかった。 (この人たちは完走している。)
 
後で考えたらこれが運命の分かれ道だったようだ。 死ぬ気でついて行っていればあんな事にはならなかった。。。
 
 
 
 
しかしその時、そんなこととも知らず、抜け出して行ったメンバーは無視して残ったメンバーで順調にゴールを目指していた。 
 
 それも「完走職人」が集まっていた。 
 
レースは、 150キロ以上消化している。
 
 上りでそんなに上げず、平地と下りでペースUPし、前にいる選手をつぎつぎ飲み込んでいった。
 
そもそも追い風なので先頭に出て引いてもそこまで苦しくなかった。
 
残り60キロ地点。今年も「軽いなと」思っていた。
 
 ツーランのおかげか、脚も攣らなくて調子よかった。
 
 
そんな感じで最後のきつい登り 羽地ダムもなんなく通過~
 
 
下って  さて 国道 で 帰るだけってとこで
 
 
まさかの  赤旗~。 関門時間は13:50  
 
 
 私たちは13:51。。。
 
 
 
 
1 分  で  関門締めれ 
 
 
 DNF
 
 
その場で、タグとゼッケンはぎとられ、自走でゴールして、そのまま宿へ。
 
その日はレースが終わったというのに悔しくて何度も起きた。
 
レース前はぐっすり寝れたというのに。。
 
 
また 来年。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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